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2017.03.15 Wednesday

宵にゃ横 夜中まともで 明け方頃は 後ろからさす 窓の月

JUGEMテーマ:都々逸の名作に真似て学ぶ

 

宵にゃ横

夜中まともで 明け方頃は

後ろからさす 窓の月

 


 当ブログを開設して一年になる。そこで、一周年記念として上記の都々逸の名作を、真似て学んでみたい。一周年を記念するに相応しい都々逸の名作を選んだつもりだ。

 

 五字冠りの都々逸である。
 文言そのままだが「宵には横から、夜中には正面から、明け方頃になると後ろの窓から月明かりが差し込んだ」という意味になろう。
 夜通し起きていたら、月がすっかり巡ってしまい、宵のうちは部屋の横から差していた光が正面からへ移動し、明け方には後ろにまわっていた。

 

 月明かりの移動をうたうことによって時間の経過を風流に描写した作品であろう。何かに熱中しているうちに、すっかり時間が経ってしまい、
「気がついたら明け方が近づいていて、月の光が後ろから差している。宵には横から、夜中には正面からさしていたのに」
というような、時の経過に対する感慨をうたったのであろうか。

 

 と、いうのは表向きで、隠れた別の意味がこの都々逸にはある。

 

 何度も言っているように、こういうことを解説するのは野暮だとは思うが、ここは[都々逸の名作に真似て学ぶ]ためのカテゴリーなので、学びのためにそうしなければならないのである。


 川柳の場合、こういった作品のことを[破礼句]と呼ぶようだ。それを都々逸にも適用して、同じく破礼句と言うことが多いようだが、本当にそう呼んでいいのだろうか。私は疑問を持っているが、その問題についてはまだ考えがまとまっていないので、とりあえず放っておく。

 

 

 こういった都々逸を読み解く時に重要なことは「どのようにして隠された意味に気がつくか」である。

 

 この都々逸の場合は[窓の月]という文句が鍵になるであろう。いわゆる江戸四十八手の体位の中に[窓の月]と呼ばれるものがある。そこに気づければ、読み解いていくことができるであろう。
 [窓の月]というのは、この都々逸の文句通り[後ろからさす]体位のことである。

 

 しかし、四十八手の名称を暗記している人が今の時代にどれだけいるだろうか。四十八手にも裏と表があり、全部で九十六手になるらしいが、私は幾つか聞いたことがある程度で、ほとんど知らない。

 

 昔の人はけっこうこういうことを覚えていたのだろう。それで、こういうものが出てくると、すぐに分かったのかもしれないが、前提となる基礎知識がないと意味を読み取るのはなかなか難しいことになる。

 

 「この都々逸は、表面上の意味では、ただ単に、月の光が部屋に入ってくる方向が移動することをうたっているだけで、大した意味がないから、裏に意味があるはずだ」
と、推測できる人もいるかもしれない。
 しかし、あらかじめ都々逸の名作だと知っていれば深読みもするが、世の中には大して意味がない都々逸も多いわけで、何も知らずに見抜いていくのは難しいのではないかと思われる。

 

 [窓の月]に気がつかないなら、[夜中まともで]に目を付けるべきであろうか。月の位置を[まとも]と表現するのは少し変で違和感がある。そこに気がついて、それをきっかけに「何か別の意味があるのではないか」と考えれば、隠れた意味にたどり着けるかもしれない。

 

 「明け方の頃は後ろからさすで、夜中はまともにさして、宵には横からさした」それは何か、と探っていく。
 そう考えると、この手の都々逸を作る場合は、少し違和感のある表現を入れておき「何かあるのでは」と気がついてもらう工夫も必要になるのだろうか。さて、どうだろうか‥‥‥

 

 いずれにしても、この都々逸の場合は[窓の月]という文句が、とにかく重要であることは疑いがない。表面上の意味でも、隠れた意味でも鍵になる言葉だ。


 

 他に、この都々逸から私が学んだこととしては、表の意味だけでも成り立つようにしっかり作るべきだということである。
 どっちが裏で、どちらが表かはわからないが、便宜的に表面的な意味の方を表としておく。この都々逸でいえば、月が時間によって移動することを表現した方が表の意味だ。そして、体位を変えて行うことの方を、とりあえず裏の意味としおく。

 

 どちらかといえば、裏の意味の方が大切であろう。それに気がつかせたいがために作っているはずだからである。しかし、表の意味だけでもしっかり成り立つ作品にしておかないと、都々逸としての価値は下がってしまうだろうと思う。
 裏の意味がわからなくても、表の意味だけえも鑑賞にたえるものが望ましい。そう作ってあることによって、後で裏の意味に気づいた時に、さらに作品の価値が高まろうというものだ。
 なかなか難しいことではあるが、そういうところを目指していきたい。

 

 

 さて、今回の真似て学ぶために作った都々逸であるが、実はもう既にこのブログで一箇月前に発表済みである。(2月15日の当ブログ)
 今回はかなり真っ当に真似していると思うし、学べているはずだ。


落ちそうな

花と知るゆえ 情けをかけて

とどめてやりたい 八重椿

 

 椿というのは、花びらが一枚いちまい散っていくのではなく、丸ごと落ちるように散る。そういうところを捉えて、たとえば俳句でも落ちる花としてけっこう詠まれている。

 

 この都々逸を作った後で、五字冠りにしなくても、

 

落ちる花ゆえ 情けをかけて

とどめてやりたい 八重椿

 

でもいいのではないかと思って、こちらに変えてみた。
 

 しかし、その後さらに、そうしてしまうと、情けをかけてやりたいのが、一つひとつの花のことではなくて、八重椿全体のことにも受け取れてしまうのではないかと思うようになった。それで、やっぱり元の方がいいように思えてきた。どちらがいいか悩んでいる。

 

 

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