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2016.08.28 Sunday

第35回 すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り

JUGEMテーマ:盆踊り

 

 

 8月24日と25日の両日に渡って[第35回すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り]が行われた。この催事は毎年8月の下旬(おそらく8月の最終水曜と木曜)に開かれているものである。

 

 私は、ここ何年か毎年参加して踊っている。「今や、このイベントに参加して踊るために一年を生きているようなものだ」と言いたくなるくらいに毎年楽しみしている。今年も、もちろん両日とも参加して踊った。

 

 以前から河内音頭や江州音頭に興味があったため、かなり前から錦糸町で河内音頭の盆踊りをやっていることは知っていた。しかし盆踊りにさほど興味があるわけでもないので、行くことはなかった。
 はじめて行ったのは4年前だと思う。その日、たまたま見ていたネットのページに[すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り]の開催日が今日であることが書いてあり、暇だったので行ってみることにしたのである。

 

 その時にに受けた衝撃は凄かった。その場で繰り広げられていたものは、まさしく混沌そのものだった。老若男女入り乱れ、すさまじい熱気と盛り上がりに包まれながら、上手いも下手も関係なく、皆が好き勝手に踊り狂っていた。
「なんだここは、現実世界なのか」
と思ったのを覚えている。

 

 その時の新鮮な驚きは、今や薄らいでしまっているが、踊りに参加して得られる喜びや昂揚感はむしろ増しているようにも思う。

 


錦糸町河内音頭大盆踊りの踊りの種類について

 

 はじめて錦糸町河内音頭大盆踊り行った時の驚きの一つとして、同時に別の踊りが、同じ音頭場でやられていることがあった。
 それまで私の知っていた盆踊りは、同じ音頭(曲)なら皆が揃って同じ踊りを踊るものであった。炭坑節なら、決められた炭坑節の踊りを皆で踊る。東京音頭なら同じ東京音頭の踊りを揃って踊る。音頭が変われば別の踊りになるが、同じ音頭なら同じ踊りである。私が知る限りでは盆踊りとはそういうものであった。

 

 しかし、そこでは、同時に別の複数の踊りが踊られていたのである。しかも踊りの輪の進行方向も違うものが共存していた。時計回りで踊っている輪のすぐ隣を、別の踊りをする一団が反時計回りで、もの凄いスピードで踊りながら駆け抜けていた。

 その音頭場を、はじめて見た私は、かなり多くの別の踊りが同時に踊られているように思えて驚愕したのである。だが、後で調べたり聞いたりしてみると、個人や特定のグループのオリジナルの踊りを別にすれば、実際には3〜4種類の系統の踊りが行われていたことがわかった。

 

 一つは[マメカチ・マンボ]系の踊りである。ただし、これも一様ではない。まず、本場の河内に[マメカチ踊り]や[マメカチマンボ]と呼ばれる踊りがあり、錦糸町でもそれらしきものを踊っている人たちがいる。
 そして、それとは少し違う[錦糸町マンボ]という踊り方がある。マメカチマンボが関西から錦糸町に伝わり、年月を経て錦糸町で独自の進化を遂げた踊り方である。特徴としては、大きく飛び跳ねたり動きが大きいところであろう。錦糸町の音頭場では、これを踊る人が一番多いが、細かいところは人によってかなり違ったりもするし、独自の工夫を加えたマメカチマンボ系の踊りもよく見かけられる。
 [マメカチ・マンボ]系は、外側の輪で時計回りで踊られている。早い時間には一列で踊られるが、参加者が増えると二列になり、さらに三列、そして最終的には、列になっているのか何なのかわからないようなぐちゃぐちゃな密集状態で踊ることなる。

 

 二つめは[手踊り]系の踊りである。これは踊りの輪の一番内側でやられているもので、反時計回りに踊る。動きはあまり大きくなくゆったり踊る感じだ。ただし、人によってけっこう踊り方が違う場合もある。
 一列で踊られていて、二列以上に増えることはまずないようだが、最終盤にはどうなっているのかはわからない。
 もともとは、釜ヶ崎で河内音頭の盆踊りを開催するに際して「すぐに覚えられる踊りをやろう」ということになって、どこかの日本舞踊の先生が考案したものだと聞いたことがあるが、どこで誰に聞いた話かも覚えていないので、定かではない。

 

 三つめは[流し]系の踊りで、手踊りとマメカチマンボに挟まれた間で、反時計回りの輪になって踊られる。これも色々とバリエーションがあるらしく、また個人の工夫を加えている場合も多いようで、色々な踊り方が見られる。
 流し踊りには、後ろに下がりながら踊る部分があり、そのタイミングが合わないと前の人と後ろの人がぶつかってしまうことがあるので注意が必要だ。

 

 四つめとして[手ぶら]と呼ばれる踊りがあるらしい。踊られることは少ないようだ。私はまったくやったことがないし、よくわからないのだが、踊られるとしたら[流し]と同じ輪でやられると思われる。なんとなく、そうではないかと思われるような踊りを見たことはある。

 

 さらに、これらの踊りに個人や特定のグループのオリジナルの踊りが加わることがある。

 

 以上の踊りの中で、私はだいたい[マメカチマンボ系]の輪にいて踊っている。たまに[手踊り]もやる。参加しはじめた当初は、[流し]も試みていたが今はやらない。そのうちまたやってみようかとは思ってはいるが。

 

 それとは別に、江州音頭がかかれば全体が江州音頭の踊りになる。どれくらい江州音頭がかかるかは年によって違う。今年は各日1曲だったと思うが、別に泉州音頭も各日1曲やった。泉州音頭と江州音頭は音頭としてほぼ同じだと思われるが、大阪の泉州地域でやる江州音頭は泉州音頭と呼ばれるようだ。あるいは、音頭の会派によって呼び名が違ってくることもあるかもしれない。
 今年、錦糸町やった泉州音頭は、江州音頭よりもテンポが遅いものだったように思うが、泉州音頭がすべてそうなのかどうかは知らない。泉州音頭は江州音頭とは踊り方が違うようだ。今年の錦糸町の音頭場でも、江州音頭とは違う泉州音頭の踊りを、やっていた。私には、その踊りを覚えられる気がまったくしなかったので、その時間は酒を飲んで休憩していた。
 また、二年前だったと思うが伊勢音頭をやったことがあり、その時はもちろん伊勢音頭の踊りをやっていた。

 


音頭と踊り

 

 しかし、はじめて錦糸町河内音頭大盆踊り行った時、私は踊りに参加しようとは考えていなかった。河内音頭や江州音頭に興味があったため、ただそれを聴きに行ったのである。

 

 この盆踊りは、というか、河内音頭・江州音頭の盆踊りは基本的にすべてそうなのだろうが、生演奏・生唄で行われる。録音は一切使わない。

 錦糸町河内音頭大盆踊りでは、音頭取りも囃子も、すべて大阪の本場から招聘される。河内音頭・江州音頭は、使われる楽器も他の(民謡)盆踊りとは違っている。和太鼓と三味線が重要な役割を果たしているのは間違いないのだが、エレキギターやベースが入る。さらにキーボードが使われることもあり、今年は特殊なレゲエ編成ではあるがドラムセットも持ち込まれた。

 

 私がはじめて錦糸町河内音頭大盆踊り行った時の目的は、その生演奏・生歌の河内音頭や江州音頭を聴くためだったのである。踊る気はまったくなかった。

 

 だが、音頭を聴きながら、大勢の人たちが踊る様を見ているうちに、踊らずにはいられなくなってしまったのだ。踊りたい衝動を止められず、気がつけば踊りの輪の中に飛び込み、周囲の人の踊りを真似ながら体を動かしていたのである。

 

 私は盆踊りも、踊り全般も好きなわけではない。嫌いだとは言わないが、好んで踊ろうとは思わない。

 このブログにも書いたように、佃島の念仏踊りにも毎年行って踊ってはいるが、自分としては踊りに行っているというよりも、雰囲気を味わいに行っていると思っている。雰囲気を味わうには踊るより他にないと思うので踊っているだけだ。

 また、たまに他の盆踊りを観に行くこともあることはあるが、踊りに行っているのではなく、あくまで観に行って写真を撮ったり、雰囲気を感じているのである。踊りを覚えるのが面倒だし、さほど好きでもないので、大概は踊らない。

 

 そんな私でも、錦糸町の河内音頭大盆踊りだけは「踊りに行っている」と断言することができる。踊りに興味がない人をも踊らせてしまう不思議な魅力に満ち溢れているのが、錦糸町河内音頭大盆踊りなのだ。何もわからず、はじめて参加した踊り手をも、大量の汗でびっしょりにさせながら踊り狂わせるのである。

 

 だが、昨年、この盆踊りが終わった後で、ふと気がついた。私は踊るのに精一杯で、ほとんど音頭を聴いていないのではないか。踊りながら、なんとなく囃子や音頭、リズムが音として耳に入ってきているが、聴いているという状態ではない。歌詞はまるで聴き取れていない。何を歌っているか歌詞をまったく聞かずに踊っている。

 

 踊ることに集中するあまり音頭が聴き取れていないのだ。こんなことでいいのだろうか。そもそも、音頭を聴くのが目的で錦糸町の音頭場に行ったのではないのか。これでは本末転倒ではないのか。
 特に昨年は、私が好きな浪曲師の河内音頭をやったため、しっかり聴けなかったことに残念な思いがあった。

 

 しかし、踊らないわけにはいかない。踊らずにはいられない。
 

 そこで私は思った。それなら、しっかり音頭を聴き取りながら踊れるようになろうと。それに、踊りながらの合いの手も入れられるようになろう。それを目標にしようじゃないかと。

(河内音頭では音頭取りの歌唱に合わせて「イヤコラセ〜ドッコイセ」などの合いの手を入れる)

 

 毎年参加している人の中には、もっと上手く踊れるようになろうとか、もっと多くの踊りの種類を覚えようとしている人たちもいるだろう。私も、それはそれで前向きには取り組みたいとは思うが、それより何より、歌詞をちゃんと理解して聞きながら踊れるようになることを一番の目標としなければならない。

 

 ということで、今年はそれを目標に掲げて参加した。だが、かなり甘く評価しても、歌詞をちゃんと聞きとりながら踊れた時間は、せいぜい一割くらい。イヤコラセ〜ドッコイセ等の合いの手を入れながら踊れたのは二割くらい。それくらいの達成感でしかなった。

 

 それでも、たまたまよく知っている歌詞が耳に入ってきた時には、それを歌いながら踊れたことは、我ながら評価したいところではある。たとえば『森の石松』の一部や、(河内音頭に挿入されている)『八木節』の一部などである。

 

 

音頭を聴き取りながら踊れるようになるには

 

 踊りながら歌詞を聴き取れないのは、踊りの習熟度が低いからだと考えられる。体の動かし方に気を取られて、聴き取る力が奪われているのだ。ならば、意識せずに自然に体が動いて踊れるくらいに習熟度を上げれば、音頭を聴きながら踊れるようになるのではないか。

 

 いや、歌詞を聴き取ろうという気持を持たないで踊っていたのでは、いつになっても聴き取れるようにはならないであろう。なぜなら、聴き取ることができなくても踊ることはできるからだ。
 踊っていれば、いずれは踊りは上手くなるかもしれないが、それだけでは歌詞を聴き取ることができるようにはならないであろう。歌詞を聴き取れるようになるためには、聴き取ろうとする気持がなければならない。

 

 だが、歌詞を聴き取ろうとするあまり、聴くことばかりに意識がいくと、今度は踊りを間違えたり、おかしな動きになったりする。そうなると踊りが乱れ、それを立て直すことに気を取られるので、よけいに音頭が聴けなくなるというジレンマに陥ることになる。

 

 つまり、常に聴き取ろうという意識を持ちながら、踊りの習熟度を上げていくことが必要になる。

 理屈ではそういうことになる。

 理屈ではそうだけれども、実際のところ、そう上手くいくだろうか。

 

 どちらかを犠牲にしなければならないのではないかという気もする。そうであれば、私の場合はやはり踊りを犠牲にするしかない。まず、音頭を聴き取ることを優先させ、それを達成した後に踊りの上達を考える。聴き取ることに集中するあまり、踊りがおろそかになっても、それはやむなしとする。

 あるいは、音頭を聴き取ることを優先できるような踊り方をすればいいのかとも思うが、それも難しいだろう。

 まあ、色々と試してみるのも楽しみの内ではある。

 

 兎にも角にも来年は、歌詞をちゃんと理解して聞きながら踊れる時間と、イヤコラセ〜ドッコイセの合いの手を入れながら踊れる時間を、今年よりも増やせるようにしたいものだ。

 

 

2018.04.07 Saturday

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